当院が主に使う均整法が生まれた歴史を、絵を描いてわかりやすくしてみました。
あるところに亀井進(かめいすすむ)という整体の先生がいました。亀井先生は港町で整体をしていました。
亀井先生は当時から高い技術を使い体の大きな漁師さんを相手に地元で有名な整体師として活躍していました。
日本が戦争に負けると、マッカーサーは東洋医学をやってはいけないという法律を作りました。
西洋医学と違い東洋医学は施術内容が一律ではなくやることが先生によって違いました。
そのため怪しいといって禁止しました。
東洋医学者仕事がなくなってしまいます。これではご飯は食べられません。
当然ながら日本中で反対する声が上がりました。
これではいけないと、日本中の東洋医学者が集まりました。
海外から来た西洋医学にも負けないものを作ろうと
様々な技術や知識、口伝の奥義や秘伝の技など、持てる力を総動員し技を出し合いました。
これでもかというほど凝縮された膨大な量の技が生まれたのです。
程なくして、東洋医学は西洋医学に準ずるという形で医療行為を行っても良いことになり東洋医学の先生方は帰っていきました。亀井先生はその集まった技術から一つの活法術を作り上げました。
それが身体均整法なのです。