自己紹介

整体師 白井 聡司

 

ボディーデザイナー及び身体均整師の資格を認定

 

整体歴10年 述べ5000回以上の施術を行う。

 

趣味はスキンダイビングで海に潜って魚を見るのが好きです。

 

現在練習しているスポーツは太極拳です。

昭和62年、神奈川県横浜市で私は生まれました。

 

名前を、白井 聡司(しらい さとし)と申します。

 

小児の頃、私は虚弱体質でした。喘息の発作が出たり、

気力が湧かず疲れやすかったので、あまり元気な子供ではありませんでした。

 

当時、土木業で順風満帆だった父は、仕事を辞め私の身体を元気にするために均整師になります。

 

父の整体の甲斐あってか、私の喘息は収まり身体も強く丈夫になりました。青年時代は剣道や弓道や柔道など、武道ができるほど元気になりました。

 

20代になると私は父の仕事を手伝うようになります。

兄と姉がすでに整体師でしたので、3人から整体を教わります。

 

私が幼少期の頃から整体をしていた父は、技術力はもちろんのこと圧倒的な知識を持っていました。そして強烈なカリスマが有りました。

 

小さい頃から間近で整体を見て育った私は、その整体を自分ができるようになるというのが楽しくて仕方ありませんでした。

 

父を師と呼び親子で整体をするようになり技術と知識を学びました。父が行っていた身体均整の学校も通い、色々な先生に出会いさらなる技術を学びました。

 

 

 

 

「達人」

 

だいぶ自信がついてきた頃うちの父がある先生を紹介してくれました。父の師匠でした。

 

その方は、身体均整法を作った亀井進先生という方の愛弟子で御歳94歳になる女性の鏡先生という方でした。

 

 

整体技術は神業で私など到底足元にも及びもしないものでした。この大先生のもとで修行に励み実力を上げました。

 

 

 

 

 

「持病」

 

私が30歳になる頃、気管支喘息になりました。風邪から始まり最初は軽い気管支喘息だったのですが、仕事やプライベートの疲れがたまり重い喘息になってしまいます。

 

薬や吸引器も効かず、遂には十メートル歩くのも困難になってしまいました。救急車で運ばれた時はダメかと思いました。それから半年間ほとんど寝たきりの生活をすることになります。子供からつけられたあだ名はパパネンネ。今では笑い話ですが、恥ずかしい限りでありました。

 

父の調整は、喘息に対して効果はあったのですがあまりにも重症化してしまった為、私の喘息に対しては症状を和らげるのが精一杯でした。

 

 

 

「新たな師との出会い」

 

閉口した私は、大先生の所に行きます。そして、一週間に一度調整をしていただける事になりました。

喘息の治し方、そして基礎から徹底的に整体の技術を教わります。

 

 

同時期に太極拳をする先生に出会う事になります。

 

 

その方の元で太極拳を学んでいたところみるみるうちに喘息が治り、発作が出にくくなったのです。

 

中国に20年間滞在し、太極拳の発祥地にて修行をしていた方でした。日本人で唯一太極拳の正統伝承者になられたと言う方でした。

 

スキルス性の胃がんを患っていた先生は単身中国に行き太極拳を習う事になります。そして、胃ガンを克服した方でした。

 

スキルス性の胃がんとは5年生存率90パーセント死亡という胃ガンです。その話を聞いたときは驚きました。

 

先生は、太極拳をやって半年もすれば喘息症状が顔を出さなくなるよと言っていました。

 

不思議な事に整体の大先生もあと半年で治ると言っていました。

 

そして、本当に半年で喘息が出なくなりました。

 

お酒はもちろんのことジュースを飲んだり、ご飯を食べることで喘息が出ていた私が、今やなんでも食べれるようになりました。

 

薬も一日何粒も飲んでいましたが、今では一切飲んでおりません。大好きだった素潜りもできるようになりました。

  

ある意味喘息には感謝しております。

徹底的に整体の技術を大先生から鍛えられ、太極拳という素晴らしい技術にも出会えたのです。

 

そして、今まで学んでいた整体の技や知識、太極拳の腕はまだまだですが、太極拳の知識や培った経験値を生かし困っている人を助けたいという考えに至りました。

 

この整体を開いたのはかつての僕のような体の不調によって身も心も疲れ果てた人を救ってあげたい。そして元気になった人を増やし力になりたいという願いを実現するべく開業いたしました。

 

その信念を忘れずに今日も一人でも多くの患者さんを治していければと思っております。

 

 

 

 

整体院介福